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『風の谷のナウシカ』によせて(2)

     『風の谷のナウシカ』によせて(2)
        ―――地球環境と戦争を考える


        
 我〈しもべ〉たる飼い主は、つい最近、こうの史代さん原作の『夕凪の街・桜の国』と言う映画を観て、いたく感動したみたいでした。見終わった後、『ねえ、サロさん。君も戦(いくさ)世に生まれなくてよかったねえ。君なんか、赤犬の肉はおいしいと言われていたというから、鍋かなんかにされて食べられてしまったかもしれないねえ。」なんていうんだよ。う~む!戦争反対 

     ユーラシア大陸の西のはずれに発生した産業文明は
     数百年のうちに全世界に広まり
     巨大産業社会を形成するに至った
     大地の富をうばいとり大気をけがし
     生命体をも意のままに造り変える巨大産業文明は
     1000年後に絶頂期に達し
     やがて急激な衰退を向かえることになった
     「火の七日間」と呼ばれる戦争によって
     都市部は有毒ガスをまき散らして崩壊し
     複雑高度化した技術体系は失われ
     地表のほとんどは不毛の地と化したのである
     その産業文明は再建されることなく
     永いたそがれの時代を人類は生きることになった
    (アニメージュ‐コミックス版『風の谷のナウシカ』第1巻)

     巨大産業文明が崩壊してから1000年
     錆とセラミック片におおわれた荒れた大地に
     くさった海・・・腐海(ふかい)と呼ばれる有毒の瘴気を
     発する菌類の森がひろがり
     衰退した人間の生存をおびやかしていた
      (アニメ版『風の谷のナウシカ』冒頭)


   物語とりわけファンタジーを理解するうえで、そこで用いられている「ひゆ」を読み解いていくことは大きな意味を持つと言えるでしょう。「多すぎる火」、「巨神兵」、「火の七日間戦争」、「汚された土」、「腐海(そして、腐海の植物)」、「王蟲」、「森と水」、「腐海の底のチコの芽」等々。そして、こうした『ナウシカ』の舞台と時代背景を考えるとき、私たちは、宮崎駿氏の「時代」との格闘を強く感じ取ることが出来るでしょう。それは、「地球環境」と「戦争」の問題と要約できるでしょうが、これらは、21世紀の現在にあっても、われわれ人類がその解決に苦闘しているところの問題に他なりません。さらに、団塊の世代の一員としての私にとって、1941年生まれの宮崎氏は私よりもはるかに自覚的に戦後世界を生きたのだろうと思いつつも、彼が格闘した「時代」は、同時に私が生きてきた時代であったように感じるのです。さて、それはどのような時代であったのか。

    私の記憶がはっきりしてくるのは1955年ごろからですが―――私は、1954年の洞爺丸台風や第五福竜丸事件なども覚えています―――、私は、ラジオやテレビそして『少年朝日年鑑』などを通して、当時の大事件や時代の変化を感じ取っていたように思います。とりわけ、1960年以降は、日本のエネルギー構造の転換(炭鉱の閉山)や米ソ冷戦の激化、そして、ベトナム戦争(「ベトナム特需」?)なども身近に感じていました。そして、大学に入学した1968年以降は、公害などの環境問題、そして、ベトナム戦争を中心とする戦争と平和の問題は私の主要な関心の対象になっていったと思います。

    たとえば、地球環境問題について、1972年、私は、それがどれだけ意識的なものであったかは別にして、ローマクラブの『成長の限界』を読んでいます。また、同年、スウェーデンのストックホルムで開かれた国連人間環境会議において提唱された「かけがえのない地球」というスローガンが近代西欧に発する自然観に転換点を画するもののごとくマスコミによって報じられていたことも記憶しています。そして、こうした地球環境問題への関心を基礎付けてきたのは、やはり、レイチェル・カーソンの『沈黙の春―――生と死の妙薬』(1962年)であったろうと思います。そこに記されていた「生命は、私たちの理解を超える奇蹟である」と言う言葉にも示される地球上に存在する全ての『生命』に対するの優しいまなざし、(DDTや核物質のような)人工物質による自然の汚染と破壊への警告、(今最先端ともてはやされている)「生命工学(バイオテクノロジー)」に対するの批判的視座、そして、そこで展開されていた新鮮な感動すら与えた『生態学』は、日本における「近代」的自然観への反省と自然保護運動に大きな影響を与えたはずです。こうして、たとえそれが底の浅いものであったとしても、私自身の日常生活にすら、自然を破壊し汚染することによって得られる「豊かさ」への反省が徐々に浸透していったと言うことが出来るように思われるのです。
    勿論、戦後日本は、水俣病をはじめとする未曾有の公害に苦しみ、反公害闘争も激しく戦われました。私自身も、東京のあのすさまじいスモッグと大気汚染、そして、六価クロムの被害などを思い出します。そして、こうした公害被害者を中心とする人々の運動によってこそ、「公害先進国」と呼ばれたあの日本の状態が、相対的なものであれ、改善されてきたのだと私は確信しています。こうした中、日本における最初の公害反対闘争といわれた足尾鉱毒事件の田中正造への関心が高まり、また、いわゆる「西欧的」自然観に対する「日本的」自然観なるものへの関心も高まっていきました。柳田国男や南方熊楠への関心はその中の最も優れたものだったということができ、自然環境問題への関心の裾野を大きく広げていったと思われます。
    また、日本は広島・長崎の被爆を経験したのですが、戦後、正力松太郎らのイシュタブリッシュメントによって、「原子力の平和利用」を掛け声に、原発が「国策」として推進されていきました。こうした流れの中、手塚治虫の『鉄腕アトム』(そして、ウランちゃん)の熱心な読者であり視聴者でもあった私は、当時すでに指摘されていた原発事故への危惧感を抱きつつも、そうした流れを基本的に受容していたというのも事実でした。しかし、1979年のスリーマイル島、そして、1986年のチェルノブイリの原発事故を同時代人として経験することを通して、また、今は亡き高木仁三郎さんらの仕事を通して、私は原子力・原発に対する批判的な意識を獲得していったのです。当時、私はすでに中年の域に達していたのですが、今は亡き忌野清志朗作詞の『サマータイムブルース』(RCサクセション『カバーズ』所収)は、私が最も好んで聞く音楽の一つになっていました。

     
     ところで、1945年の第2次大戦の終結から1991年のソ連邦の解体に至る「戦後世界」の構図は、東西問題と(より根源的なものであったと考えられる)南北問題という二つの基本軸によって構成されていたといっていいでしょう。しかし、実際、われわれの中でより大きな位置を占めたのは、米ソ間の「冷戦」とその「代理戦争」(朝鮮戦争・ベトナム戦争などの「熱戦」)、そして、キューバ危機に見られたような米ソ間の全面核戦争の恐怖でした。ところで、戦後5年間、日本国憲法の下で〈非武装〉をつづけていた日本は、1950年の朝鮮戦争を契機に、アメリカ政府の『許可』によって、再軍備化が進められていきました。こうして、米ソの冷戦構造に組み込まれた「日米安保体制(米軍・自衛隊―専守防衛・軽武装)」と「日本国憲法(非戦・非武装)」との確執が構造化されたわけです。そして、60年安保、70年安保、そして、ベトナム反戦等々、多くの人々が反戦運動に立ち上がり、その中で苦悩・疲弊しつつも、改憲をもくろむ勢力を一定程度抑制してきたいうことが出来るでしょう。しかし、現在、私たちは、1989年のゴルバチョフの決断による実質的な冷戦構造の終焉、そして、1990年の湾岸戦争に始まる「地域紛争」の一層の激化という状況の中にあって、日本国憲法の「改正」(「自衛隊の海外派兵」・「戦争のできる国家」)に向かう強まりつつある動きに直面しているのです。要するに、私たちの、戦争に反対し平和を求める行動は必ずしも成功していたわけではないのです。そもそも、私たちが対峙してきた戦争の「本質」とはなんだったのでしょうか。それを真に乗り越えるには、どうすればよかったのでしょうか。私たちは、今、こうした問に対する答を真に我がものとしていかねばならない時点に立っているといってよいでしょう。
   さて、先にふれた1972年の国連人間環境会議において、後に暗殺されてしまうことになるスウェーデンのパルメ首相は、ベトナム戦争におけるアメリカの枯葉剤の使用などを批判しつつ、「戦争こそ最大の環境破壊である」と述べました。(最も大きな火力と生命に有害な物質を兵器として用いる)戦争と自然環境との関係をこれほど簡潔・明瞭に表現したものはないでしょう―――それゆえに、自然環境の保全を求めるものは戦争をも許してはならないのです。そして、こうした観点は、1980年代に至り、カール・セーガンらの「核の冬」の理論(1983年)―――NHKスペシャル『核戦争後の地球』(地球炎上・核の冬)(1984年)―――となって、私たちに再び突きつけられたのです。人類を20回も全滅させうると言われた核兵器の存在とその使用は、いかなる理由によっても許されるべきものではなく、人類と核兵器との共存はありえず、核兵器の廃絶は人類の宿願となったのです。しかし、問題は、それをどのように実現していくのかと言うことに他なりません。
   1945年11月に制定された『ユネスコ憲章』(前文・冒頭)には、「戦争は人の心の中で生まれるものだから、人の心の中で平和のとりでを築かなければならない」と言う、あまりにも有名な言葉があります。しかし、私たちは、この平和のとりでの構築に成功しているでしょうか。私たちの心の中には、戦争と核兵器が存在し、再生産されていないのでしょうか。宮崎氏は、それをラディカルに問うているように思われます。


   又、長話をしてしまいました。それでは、次回(『風の谷のナウシカ』によせて(3)―――非暴力直接行動と「多神教」的世界観)は、宮崎氏が、こうした諸問題にどのような視角から取り組み、どのような解決の方向性を示唆しているのか、私なりに考えてみたいと思います。

 
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SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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