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『アルカイダの来た道―――アメリカはなぜ憎まれるのか』を観て

 
嫌われるアメリカ人とローレンス・ライトの魅力



    我〈しもべ〉たる飼い主は、すこし、けだるそうに言ったよ。「ねえ、サロさん。年も押し詰まってきたねえ。私は、小さい時、どうも宿題が苦手でね。全くやらなかったわけでもないんだけれど、どうも計画的にはできなかったなあ・・・・・ローレンス・ライトのこの本も宿題みたいなもんだね。さて、今年中にやってしまおうか。」―――クックック・・・わかってる、わかってるって


    ほぼ一年前の今年の正月、普段は<疲れて>(?)見逃してしまうような貴重なテレビ番組の再放送を何本か見ることができました。そして、その中でとりわけ面白かったものが、NHKの“BS世界のドキュメンタリー”『アルカイダの来た道―――アメリカはなぜ憎まれるのか』でした。視聴後、すぐに、この作品の基となっている『倒壊する巨塔―アルカイダと「9・11」への道(上・下)』を取り寄せ、読んでみました。大変優れた本で、すぐにコメントしようとも考えたのですが、私が受けたインパクトの「質」を表現するのにいまひとつ逡巡するところがあり、下書きのまま一年近く放置していたのでした。しかし、昨今の政治状況を考えると、私がライト氏に対して感じた魅力は、現在の私たちにも求められているのではないかとの感も強く、必ずしも意を尽くしたものではないのですが、一応、アップしておくことにしました。ご批判をいただければと思います。

  ところで、この作品の内容は、NHKのHPで、次のように要約されています。

    「アメリカはなぜこれほどまでに憎まれるのか?」9.11テロ事件以降、アメリカ人の誰もが自問してきた疑問である。著書「倒壊する巨塔(The Looming Tower; al-Qaeda and the Road to 9/11)」で2006年にピュリッツァー賞を受けたローレンス・ライトが、イスラム原理主義がどのようにして生まれたかを綿密にたどる旅を通して、彼らの思想を内側から理解しようと試みる。
ローレンスは“復讐”はエジプトの刑務所で始まったという。サダトからムバラクの時代、アメリカの軍事力に支えられたエジプトでは、イスラムへの回帰を主張する人々は暴力で弾圧された。虐げられた人たちはジハード団を結成。アルカイダのNo.2アイマン・ザワヒリはそのリーダーの一人だった。
アメリカのイラク侵攻では、イスラムに無知なアメリカ兵士たちが市民に対し恥辱的な行為を行い、イスラム教徒の憎しみに拍車をかけたとローレンスは分析する。
さらに自爆テロという残忍な手法が生まれた背景、殉教に対する考え方などに考察を加え、イスラムのアメリカへの憎しみの原点、背景を解き明かしていく。」

    さて、このドキュメンタリーが第一級のものであることに疑う余地はないでしょう。取材対象に対するその長期にわたる密度高い取材、そして、膨大な資料を分析―総合する視点の「確かさ」、それらには感動を誘うものすらあります。ところで、これまで、私は、いわゆる「アメリカ人」の文化や行動の中に鈍感と思われるほどの「自己中心性」を感じると共に、そうした性格それ自体をも乗り越えていくような「何か」を感じてきたといってよいと思います。それは私自身には希薄と感じられる何かで、言葉で表現することは難しいのですが、あえて言うならば、自らの思想・信念を貫きつつ異質なものに接近する「勇気」、また、仲間内に対してもその信念に基づいて批判的姿勢を崩さない「勇気」、とでもいったらいいものかもしれません。すなわち、「アメリカ」は、「嫌われるアメリカ人」と共に、そうした極めて魅力的な人物や文化をも生み出してきたということなのです。

    まず第一に、ライト氏が中東の地で作り出した人間関係の「広さ」と「深さ」は驚嘆すべきもののように私には思われます。「人種の坩堝」・「移民の国」アメリカに住む彼にとって、それは当たり前のことなのでしょうか。日本も中東地域ではかなり良好な関係を作り上げてきていたということですが、この間の中東情勢の中で、ライト氏のような人間関係と情報を得ることができていたのでしょうか。もちろん、日本も、有史以来、様々な文化を吸収・融合して今日に至っているのですが、ライト氏の仕事によって、このますますグローバル化しつつある世界の中で、私たちも、「異質」的なるものとより積極的な関係を形成していかねばならないのではないかと強く考えさせられたのでした。

    第二に、ライト氏のイスラム文化に対する理解は決して表層的なものではなく、ビンラディンやザワヒリに対する彼の批判は、『コーラン』などを踏まえた、極めて内在的な性格を持つものでした(たとえば、ジハードや自爆攻撃などに対する批判の根拠)。しかし、それと同時に、彼はそうしたイスラム文化に「埋没」してしまうのでもなく、彼自身の「アメリカ的価値観」―――それは必ずしも「井の中の蛙」とか「お山の大将」といった独善的なものとは私には感じられませんでした―――から、メッカの女学生の服装ゆえの焼死事件やイラクにおける援助活動家の処刑に対して、おそらく死の危険すら顧みず抗議する「勇気」を示しているのです。いわゆる「文化相対主義」的な立場から、そうした行為に対して「沈黙」を守ることを良しとする考え方もあるでしょう。しかし、私は、自らの主体的な価値判断をぶつける彼の姿勢に魅力を感じ、また、そうした姿勢が相手の「信頼」を獲得することにもつながるのではないかと思うのです。「日本的価値観」からするならば、先のような事例の際、我々はどう考え、どう行動すべきだったのでしょうか。

    第三に、このドキュメンタリーの背景には、9・11以後のアメリカ社会の変質―――ライト氏や彼の娘が権力によって盗聴されたりするといった―――があるのですが、ライト氏は、こうした流れに対しても、自らの「アメリカ的価値観」から強く抗議します。当時の状況から考えるならば、こうした自らの信念を公的に表明することは決して簡単なことではなかったはずです。しかし、こうした一人一人の思想・心情を大切にすること、そして、それを相互的に承認しあうことも「アメリカ的価値観」なのでしょう。そして、こうした姿勢こそ、結局、アメリカ社会の「自己批判」能力、「自己革新」能力を生み出してきたのだといってよいと思うのです。奴隷制の歴史を有しながら、人口の10%程に過ぎない黒人出身の大統領を選出するアメリカ国民、それは、やはり、恐るべき「革新」能力を持っていると言わなければならないのではないでしょうか。これに対して、「和を以って貴しと為す」わが日本が、異文化間の「和」を大切にするのではなく―――我が家はクリスマスケーキでキリストの誕生をお祝いしたのですが(苦笑)―――、異文化や価値観の差異を抑圧する方に流れていくならば、変わり行く社会に向かって「自己革新」能力を発揮することは決して出来ないだろうと思うのです。    
    
    総じて、この二つのドキュメンタリーを通して、私が感じたライト氏の魅力とは、「他者」に対する積極的で、主体的な関わりということになると思います。そして、それを可能にしているのは、結局、「相手」を理解可能・対話可能な同じ人間とみる〈根源的な〉「信頼感」ではないのか、これが私の最終的な印象です。ビンラディンやザワヒリを全く「異常・異質」な化け物の如きものと捕らえたならば、なぜ我々と「同じ(普通の)人間」が、9.11テロの如き事件を起こすに至ったのかを追求したこのドキュメンタリーは成立しえなかったでしょう。勿論、ライト氏はこうしたテロリズムを強く憎み、否定しています。しかし、もし、これから先、「文明」間の衝突といった非和解的な枠組みの中で暴力を再生産していくのではなく、そうしたテロリズムとそれらを生み出す諸条件(「嫌われるアメリカ人」の有り様も含めた)を一つずつ払拭し、人類全体の共生を実現しようとするならば、その根底には、そうした人間に対する根源的な信頼感が必要だといえるのではないでしょうか。もちろん、悲惨な現実を前に、それを楽天的な、「お人よし」の戯言という向きもあるでしょう。しかし、おそらく、「地獄へのスパイラル」からの脱出口はそこにしかない、それも事実であると思うのです。

※ この3日間、私は、演歌、歌謡曲を聴きまくりました。私の依存症的体質は悲惨を極めています。明日は、そのことについて書く予定です。

 
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SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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