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私の音楽の故郷(4)―――演歌の心とは?

 
寂しさ・悲しさを超える〈強さ〉?


    今、カラオケで何か歌おうとすると、やはり、演歌系のものが多くなりそうです。しかし、若い頃は、あの何とも湿っぽい歌詞と曲調はなにしろ苦手でした。そして、当時口ずさんだ曲といえば、結局、当時流行していた明るい青春歌謡だったと思います。舟木一夫の『ああ青春の胸の血は』とか、橋幸夫の『いつでも夢を』とか、西郷輝彦の『君だけを』などは、今でも歌えそうな気がします。また、私たちの世代にはファンが多かった吉永小百合の『寒い朝』とか、三田明の『美しい十代』なんかも歌えるでしょう。しかし、それらを今歌えといわれるとやはり無理と言うか、ひいてしまいますよね。
   
    ところで、私が演歌というのは本当にいいもんだなあと思うようになったのは、やはり、三十歳を越えてからのことだと思います。あの深い情念を感じさせる八代亜紀の『舟歌』、なんともいえない郷愁を漂わせる北島三郎の『帰ろかな』、素朴な率直さを表出する千昌夫の『北国の春』、小憎らしいほど人の心をくすぐる吉幾三の『津軽平野』、そして、森新一の『おふくろさん』など、自分ではとても歌えないけれど、本当にうまいもんだと聞き入ってしまうようなものが多いです。そして、私がそれらに惹かれるのは、私自身が田舎者で、失った故郷を想う望郷の念の故のことのように考えられるのですが、その根っ子のところには、三橋美智也の『古城』があるのではないかと考えられます。三橋美智也は北海道出身だったと思いますが、北海道のラジオ局から流れてくる『古城』に、若き日の私は同じような気持ちで聞き入っていたのです。あっ、忘れてました。もちろん、布施明の『霧の摩周湖』なんかもよかったですよねえ。また、寮生活をしていた大学生時代、帰省のために乗った夜汽車の結露した窓に頭を押し付けながら心で歌った、小林明の『北帰行』もそれらと同じような位置を占めるものでしょう。

    さて、こうした演歌の魅力とは一体なんなのでしょう。演歌の表出する情緒は、もちろん、いわゆる「日本の歌」の「叙情性」とは性格を異にするように思われます。誤解かもしれませんが、一般的に、演歌は、なにものかを失った「喪失感」から来る寂しさや悲しみを歌っているものが多いように私には感じられます。しかし、また、その歌の多くは、その寂しさや悲しさに泣き崩れてしまうだけではないなにか、すなわち、その寂しさや悲しさと正面から向き合い、それを乗り越えていこうとする『意地』のようなものを感じさせるといってよいと思うのです。交響曲6番『悲愴』を書いたチャイコフスキーは自殺してしまいましたが、日本の演歌には、なにか、明日に続く「強さ」を感じさせるものがあるのです。「これが人生さ。明日も生きていこう。」―――演歌は、日本の「シャンソン」といっていいのかもしれません。


  ※ サロさん。私は、サロさんの兄貴や姉貴と違って「ミーハー」だったんですよ。次回は、アメリカのオールディーズや日本のフォークソング、そして、南沙織やアグネスチャンあたりにも触れようと思うんだ。

―――サーバントさん。どうも、あなたは僕に色々隠してましたね。


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SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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