FC2ブログ

私の音楽の故郷(6)―――アメリカ的生活への「憧憬」(?)

 私はアメリカにすっかり「すり込まれて」しまっていたのか


    私は、パンが大好きで、一日一度パンを食べないと落ち着きません。それは、自国の余剰農産物の処理のため、日本の学校給食に〈あの〉パンと脱脂粉乳を導入し、日本人の食生活を改変しようとしたアメリカ政府による長期的戦略の故に違いありません。さらに、私の好きな音楽の領域においても、American way of life の浸透力はかなりのものであったと思われるのです。

   我家にテレビが入る前、私が耳にする音楽といえば、クラシック音楽を除けば、ほとんどが「日本的」(?)な旋律のものであったように記憶しています。そうそう、幼い頃、私は、「旅順開港約なりて、敵の将軍ステッセル・・・」などという歌まで布団のなかで歌っていたものでした。ところが、テレビが入るや否や、私の音楽生活は大きな変化を被ることになります。一番大きいところで言えば、弘田三枝子や克己しげる、スリーファンキーズといった大層明るく元気な人達が、『素敵な16歳』とか『片目のジャック』とか『涙のムーディー・リヴァー』とか『かわいいベイビー』とか、いわゆるアメリカンポップスのカバー曲を、『シャボン玉ホリデー』や『ザ・ヒットパレード』などの中で、盛んに歌うのを見るようになったことです。私自身はそれらの曲にさほど夢中になったという記憶はないのですが、全く異質な世界を垣間見るような不思議な感覚があったように思います。

   さらに、私に「根深い」印象を与えたのが、アメリカのテレビドラマの主題歌だったような気がします。『ローハイド』とか『ララミー牧場』、『サンセット77』とか『ルート66』とかです。なんと表現すればよいのか難しいところですが、『私のママは世界一』とか『パパは何でも知っている』などのホーム・ドラマにも共通するところの、普通の人々といいましょうか、人民といいましょうか、平民といいましょうか、そうした人々が、非常にかっこよく、プライドを持って生きている、そんな姿が感じられたのです。それに比べると、日本の一般ピープルは、『水戸黄門』などもそうですが、これまた封建的身分秩序の中で何か卑しめられている、そのようなものと感じられたのです。こうしたアメリカ音楽の印象は、悲しくも美しく、壮大で格調高い映画音楽のそれでもありました。『ドクトル・ジバゴ』や『アラビアのロレンス』などはその最も代表なものです。

    ところで、私が意識的に外国の音楽、とりわけ、ポピュラー・ミュージックを聞こうと意識しだしたのは、やはり、英語を勉強しだした中学生以降のことです。英語学習のイデオロギー的機能はその意味でも大変大きいのかもしれません。ところどころ意味も分かり始め、歌詞を調べだしたりした頃です。とりわけ印象に残っている曲をいくつかあげてみると、『悲しき雨音』、『花はどこへいったの』、『木の葉の丘』、『ドナ・ドナ』そして、『悲しき天使』てなところでしょうか。そして、それぞれ、それらの曲と結びついているシーンが記憶に残っているのです。懐かしいものです。

    今思い起こせば、これらの音楽経験はなんだったのでしょう。アメリカの文化侵略的なものだったのでしょうか。それにしても、良きにつけ悪しきにつけ、私の中に、理想化された「アメリカ的生活様式」とそれに照応する意識の影響があることは確かなことです。そして、それらが私を幸せにするかどうかは大いに疑問なのですが、私を「狭隘なナショナリズム」から距離を置かせる上では意味があったろうことは確かなようです。どうでしょうか。 
    
 
青い目ならぬ緑の眼―――これは僕の暗視・集光装置なんだよ



スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ワン・クリック・エリア
おもしろかったらクリックしてね!
にほんブログ村 犬ブログ 柴犬へ
にほんブログ村 にほんブログ村 格闘技ブログ 剣道へ
にほんブログ村 にほんブログ村 政治ブログ 平和へ
にほんブログ村
リンク
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる